Algorithm・Biorhythmとは・・・

音楽ユニットです。これで「アルゴリズム・バイオリズム」と呼びます。

メンバー構成

リングネームパート特徴
AlgorithmKeybordシンセサイザーを落っことしそうになってキャッチするのがうまい
BiorhythmVocalうたったりしゃべったりするのがうまい
低音弦人Bassギターやベースの修理がうまい

過去のメンバー諸々

(-_-;)脱退するまで呼び名が不明のまま去っていったギタリスト。
ギターの腕前はよくわからないが、PA、及び録音に関してはその道のプロだった為、むしろソッチの方で貢献してくれた。
スノーボード、ウェイクボード、写真等々、趣味は多彩。
ラーメンスタジアム変態フレーズを見事に弾いてくれる爆裂ギタリストでヘビメタ伝道師。
彼の影響によってAlgo氏の音楽性に変化が見られたとか見られないとか・・・
やがて、就職先が遠方になってしまった為、脱退。
ふぇちずむⅡ世オサーン臭漂うAlgoBioの中で、加入当時17才という異彩の若手ギタリスト。演奏の安定感は目を見張るものがあった。若いクセにオヤジロックが好きなのが変態ぽいということでこの名前にw。就職を機に脱退。
ホボ中島美声の持ち主で、音感も良いという、まさにVo向きな能力を持ち合わせた羨ましい女性。かわいいお子様も生まれた後、いっしんじょうのつごうで脱退。

Algorithm・Biorhythmの結成経緯と沿革史

1992/04/某日

 この頃、AlgoBio(-_-;)低音弦人が、高校入学と同時に出会う。ちなみに入学式の日、Algo(-_-;)に、クツ箱の場所を親切に教えてくれたので「良い奴」という第一印象を受ける。しかし、その後の「俺リンゴ事件」(←知る人ぞ知る)により「でも寒い奴」という印象もプラスされる。
 当初の低音弦人氏に至っては、工業高校という女っ気の薄い環境の中、いきなり女の子と仲が良かったため、Bio氏、たらお氏、アラスカ春痔漏氏は面白くなく、「超イヤな感じ」の印象があった模様。

1992年~1994年:

 この頃すでに Bio低音弦人は独自に音楽活動を始めており。バンドを率い、ドラマー/ベーシストとしてライブ等をこなしていた模様。ちなみにこの頃、(-_-;)氏はBio氏とよくつるんではいたが、バンドには参加してなかった模様。Algoに至っては、「バンド?なにソレ?食えるの?」といった様子で、コンピュータオタクを地で行っていたが、やがてDTMの世界を知り、音楽方面にもすこしづつ興味を持ち出し、1993年の夏頃に初めてのキーボードを購入。買ったのは「カシオトーン」(\19,800)である。

1995年~1996年:

 Bio氏は、さらに様々な音楽活動を展開。音系の専門学校に(-_-;)氏と供に進学。この二人はその道のスペシャリストとなる礎を創る。
 この頃、Bio氏は、バンド活動としては初めてボーカルパートを経験した模様。ちなみにこの時のドラムの人はJazzドラマー志望でものすごくウマかった。
 さて、この頃のAlgoは、Bio(-_-;)達とは音楽関係ではほぼ関わっていなかったが、別のとある友人と電気グルーヴのコピーユニットを組んで活動を計画・・・のハズだったが、具体的な活動内容がイマ一つ決まらず、企画は自然消滅。なお、この頃にAlgoは初めて打ち込みのできるシンセを買った。(YAMAHA QS-300)

1997年~1999年:

 Algoは、会社の同僚のツナガリでバンドを結成し、1998年には初ライブを実施。これに気を良くしてAlgoは様々な音楽活動を展開する。バンドの掛け持ちもしていた。氏曰く「この頃は仕事よりも音楽の方がキツかった」。これを教訓にAlgoは「マイペース」の大事さを学ぶ。
 (-_-;)氏は某音系専門学校を卒業し、某放送局向け番組制作会社へと入社。音のプロとして益々磨きがかかる。
 Bio氏も某音系専門学校を卒業。しかしその後は表立った音楽活動はなく、家具屋として、小売、事務職、4トントラックによる配送、家具製造などを行うものの、不況の波にあおられて、資格を取得のため、某医療系専門学校を受験し見事合格する。

2000年:

 アラスカ春痔漏氏の結婚式を機に、Algo氏と、Bio(-_-;)両氏とが再び接触。ココにきてようやくBio氏と(-_-;)氏は、初めてAlgo氏が音楽活動をしていた事を知る。そこでBio氏は遂に「Algorithm・Biorhythm」のプロジェクト開始という歴史的(?)発案を提示する。
 ちなみにAlgorithm・Biorhythmという名称の由来は、当時Algo氏がコンピュータ関連の仕事をやっていたので、その業界用語として「Algorithm」。Bio氏は、当時医療系専門学校に通っていたので、その業界用語(?)として「Biorhythm」の名が付き、二つを合わせて「Algorhythm・Biorhythm」となった。加えて(-_-;)氏は当時ギターを持っていたので、ギタリストとして参加する事となる。名称の由来は、Algorithm・Biorhythmの真ん中にある「」を拡大すると「(-_-;)」になるとゆう事にして、半ば強引に命名された。呼び名は今でも不明である。
 この頃Bio氏は専門学校の学祭にて、後輩のふぇちズム(後のラーメンスタジアム)氏らと供に学際ライブを披露した。この模様はAlgo(-_-;)両氏が客席にて視聴している

2001年:

 この頃にようやく「Algorithm・Biorhythm」としての具体的な音楽活動が始まる。  この年の春頃に、記念すべき初作品「夢人」が完成。「貝殻」もできてしまい、幸先のいいスタートを切る。なお、「夢人」の製作では、Bio氏の呼びかけにより低音弦人氏がベースとしてレコーディングに参加。メンバーとして迎え入れる。
 ところがこの年、低音弦人氏は「くも膜下出血」により死線をさまよう。その後、何とか復活し、名曲「キミノカケラ」を執筆。現在は後遺症も無く、元気に暮らしている

2002年:

 「キミノカケラ」と「ring」が完成。しかし作品の出来はメンバーそれぞれどこか不満が残る。この2作品はリメイクが約束される。
 その後、遂に、ヘビメタ色の濃いギタリスト、ふぇちズム(後のラーメンスタジアム)氏を正式にメンバーとして迎える。
 この年、友人たらお氏の結婚披露宴の余興向けに製作した「やさしいひかり」が披露宴当日2週間前に完成。余興にはAlgoBio(-_-;)、のはぐれメンバーで望む。おおむね好評だったらしいが、(-_-;)氏は歌詞を間違い、Algoのピアノ演奏は間違えまくり、Algoは一時引退を決意する程落ち込んだが、現在では立ち直っている。
 12/29より、新メンバー加入によるリメイク作業を開始。各曲カッチョよく仕上がってきた。作品の公開は・・・見送る。

2003年:

 「タラチャンズ」がHomePageを立ち上げる。かねてより(勝手に)ライバルユニットと意識していたAlgoは、再び対抗心の炎が燃えまくる。新曲間近か・・・!?
 この年の10月、かねてからその名前をイヤがっていた「ふぇちズム」が「ラーメンスタジアム」と改名。はたして、この名前に変わって嬉しいのかどうかは疑問が残るが、本人はそれでいい様なのでメンバーも改名を承認。しかし呼びにくいわ・・・。

2004年:

 新メンバーとしてホボ中島をコーラスとして迎え入れる。クソガキキラー飲兵衛コーラスとして華々しくデビュー。名前の由来は、本職が保母さんである事から来ている。ちなみに「中島」は彼女の本名ではない。
 これまでムサ苦しかったAlgo/Bioの面々に紅一点としてハナヤカな空気をもたらしてくれる事を期待せずにはいられないのである。

 10月、ラーメンスタジアム脱退。医療系資格の取得に向けての決断。その後無事就職。おめでとう。

2005年:

某楽器屋チェーンの作品コンテストで「羅針盤」が「久留米店優秀賞」を受賞し、メンバー一同気持ちが浮つく。

 この年、メンバーそれぞれに事情あって、活動が停滞する。楽曲製作とかはちょこまかとやっていた「shine for you」等。ライブ等もこの年2回くらいしかやってない。

2006年:

 ホボ中島がメインボーカルに就任。Bio氏はドラムを担当する事となる。
 ここで、ようやく新曲「碧空の彼方へ」が発表。これも某楽器屋チェーン店の作品コンテストに出品するも、泣かず飛ばずであった。
 ちなみにこの年もAlgo氏のせいで、ほぼまったくと言って良い程活動が停滞していた。

2007年:

 新メンバーとしてふぇちズム2世加入。きっかけは某S楽器店のマイナスワンライブイベントにて、ラーメンスタジアム氏の紹介により、Algo/Bioメンバーと出会う。
 Algo/Bioに初めてリズム感の良いギタリストが現れた事で、一同期待を寄せる。

2008年:

Algo氏の転職により、ほぼまったくと言って良い程音楽活動ができなくなる。申し訳ない。
Bio氏は、二児のパパとなり、子育てに奮闘。

2009年:

Algo氏の仕事がこなれて来てそろそろ活動再開かと思いきや、ナントカ会議所とか、消○団とか、様々な奉仕団体に入らされ加入する事になり、またしても音楽活動へのスキが無くなる。
これまでにコツコツと揃えてきた高価な録音機材が、ナントカ会議所のイベントアナウンスの録音とかしょーもない事にしか使われなくなり、やるせない気持ちになる。

2010年:

Bio氏いわく「活動休止中」。Algo氏は否定。
Algo氏の言い分は、「充電中」との事。
メンバーのうち誰一人として、この年がAlgorithm・Biorhythm結成10周年である事を、スッパリと忘れ去られていた。

この年、Algo低音ホボ中島に子供が生まれ、Algo/Bioはめでたく「おやじバンド」の仲間入りを果たす。

2011年:

本サイトを公開していたレンタルサーバが、営業を終了するに伴い、一旦サイト閉鎖となる。
近年、目だった活動をしていない事もあり、移転先サーバをさがす事を断念。

2012年:

ひょんな事から無料レンタルサーバーを見つけて、サイトの公開を再開。
てゆーか音楽活動しろよ(#-_-)

2016年

Bio氏が独自で音楽活動に励んでいるご縁で、唐津ORANGEで開催されたNITROBOXさん主催のライブイベント「NITROCK」に出演。Algo氏とBio氏の2人で装いも新たに再始動。楽曲も過去の曲をアレンジしなおし、バンドではなく打ち込み系エレクトロサウンド直球のスタイルで披露。

2017年

1月、天神HEARTBEATにて開催されたコピーバンドイベント「ビーカミ」にDASEINのコピーユニット「たーZEIN」として出演。Algo氏、Bio氏、低音弦人氏の3人体制でのパフォーマンス。コピーバンドも意外に楽しめたのは収穫であった。

7月、久留米ライブバーchicにて開催されたオープンマイクへ参加。この日もAlgo氏、Bio氏、低音弦人氏の3人体制で出演を果たす。

2018年

2月、GERILA HOUSEにて開催されたKAZIVAさん主催のライブイベント「KAZIVAのクソヂカラ」に出演。この日はAlgo氏とBio氏の2人体制。この頃よりAlgo氏はミニ鍵盤のシンセサイザー(Roland JDXi等)の便利さに気付く(´ω`*)

4月18日、Bio氏が独自に音楽活動に励んでいた縁で、久留米DREAMS FM さんの『BREAK SWITCH』76.5MHzに出演。Algo氏は初のラジオ出演に緊張しすぎて何をしゃべったのかまったく記憶が無い始末。Bio氏の冷静なトークさばきは流石なもの。

6月23日 Algo/Bio同様にエレクトロサウンド全開な音楽で精力的に活動されているW→FORCEさんのレギュラーラジオ番組「W→FORCE Radio はじまるよっ!いえいっ!」にゲスト出演。W→FORCEの優綺さんとAlgo氏がシンセトークに暴走しそうにな所を、しゃみさんとBio氏にツッこまれて阻止されるという謎のスキームがこのとき生まれた。

8月26日、柳川のKataro Base 32にて開催されたKAZIVAさん主催のライブイベント「KAZIVAのクソヂカラ」に出演。この日はAlgo氏とBio氏の2人体制。Algo氏はこの日なぜか「シーケンサー奏者」という意味不明の肩書きを名乗る。よっぽど鍵盤の演奏に自信を無くしているらしい。

2019年

5月5日、80’s Bar reflexにて開催されたKAZIVAさん主催のライブイベント「KAZIVAのクソヂカラ」に出演。この日はTM NETWORKのコピーバンド、AB NETWORKとしてAlgo氏、Bio氏、低音弦人氏の3人体制でのパフォーマンス。現代の最新DTM環境をもってすればあの時代のシンセサウンドをいとも簡単に再現できてしまうのだと気付いてしまい、Algo氏は後のソロ活動「DTMモノマネ」を始めるヒントを得る。

5月25日、W→FORCEさんのレギュラーラジオ番組「W→FORCE Radio はじまるよっ!いえいっ!」に2度目のゲスト出演。優綺さんとAlgo氏のシンセトークに華咲かせ、2人の暴走をしゃみさんとBio氏が阻止するという定番スキームに、即興での作曲「令和だよ」も生放送中になんとか成功。W→FORCEさんとは楽曲のコラボ制作を宣誓するなど、いろいろとおなかいっぱいな内容であった。

2020年

Bio氏の「TAKA」名義ソロ音楽活動が非常に活発なので、Algo氏も何かやろうと音楽活動のリハビリとしてコピー曲をDTMで打ち込みしてみた。これをYOUTUBEにアップしたのが「DTMモノマネ」である。Algo/Bioの新曲を製作するにあたり、リハビリのつもりではじめたものだが、往年の浅倉サウンドを現代の最新DTM環境でもってすればいい感じにあのシンセサウンドが再現できることに気を良くし、そのままダラダラ続けている様子。